


高校時代何の授業と言えば、現代文の小説の時間ほど退屈なものはなかった。
まず、何がいいたのかわからないクソみたいな物語を読まされて、その上、誰の考えなのかわからない解釈をあーでもない、こーでもないと教えられるのだからどうしようもない。
いやいや、その解釈が成り立つ理由がわからないんだけど?それが正しいっていうのはなぜ言えるわけ?としか思っていなかった。
なので、当然ながら真面目に取り組んでいなかった。授業は適当に聞き流し、テストも適当に答えていた。二度とこの小説を読み返すことはないだろうと思っていた。
が、今回太宰治『富嶽百景』を改めて読んでみた。
以前、梶井基次郎の『檸檬』を
漫画化した。そのページのアクセスが結構多いので、二匹目のドジョウを狙ったというのがひとつ目の理由だ。
また、富嶽百景の内容は全く思い出せないけれど、「井伏鱒二が放屁した」という内容だけは頭に残っていたので結局どういう話だったのか気になったというのがふたつ目の理由だ。
短い話なのですぐに読むことができた。高校時代と今じゃあ印象が違うなぁと思いつつ、率直な感想は「面白い!」だった。ワクワクドキドキの面白さは全く無い。富嶽百景の面白さは「こいつ、いい歳して何言ってるの??馬鹿じゃないのwwww」という面白さだ。
富嶽百景をまとめるなら、みんなが褒めるから太宰は富士を好きになれなかったけど、色々あって富士も好きになったって内容だよ。
「こんな俗な山のどこがいいわけ?あほか」みたいな態度を太宰はとる。中2病か!
そんな時期って誰にでもあるよね〜。この間まで大好きだったJPOPをバカにして、洋楽とかラップとか聞き出す同級生とかいましたよね〜ええ。洋楽聴いてる俺格好良くね?みたいなね。歌詞の意味なんか露ほども知らねえくせにさぁ。洋楽好きなのはいいけど、日本の歌手馬鹿にするのはそれを聴いてる人に対して失礼じゃない?ってね、……え?私も口にはしませんが、思ってましたよ。何か?
閑話休題、というわけで、富嶽百景にはツッコミどころがわんさかあるよ。突っ込みながら読むと面白さ倍増。文豪だか何だか知らないがお前は馬鹿か、何故お見合い相手と結婚する決断のきっかけが富士の写真なんだよ!
もちろん、富嶽百景は文学的に素晴らしいのだろう。だけど、文学自体に嫌悪感がある人には入り口にすら立てないのが現実だ。だから肩肘張らずに、教科書に載ってる作品だけど、よくよく読んだら馬鹿みたいな内容らしいから突っ込んでやろうぐらいで臨むのが調度いいと思うんだよね。
それにしても、井伏鱒二の放屁シーンは何だったんだろうか。
富士には月見草がよく似合ふ
よくわからん
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