我輩はぴーぴーである。ぴーぴーとはPPである。
原因はとんと見当もつかぬ。何でも日もまだ昇らぬ未明に、身体に異変を感じたことだけは記憶している。我輩はそこで初めて自分がまだ外が暗いうちに目が覚めてしまったことに気が付いた。今にして思えば、それはまさに我輩を終日悩ませたぴーぴーの始まりでもあった。このぴーぴーというものは時どき我輩に踊りかかっては悩ませている、恐るべき悪魔である。
しかし、そのときは何が起こっているかわからないから別段恐ろしいとも思わなかった。ただ偶然にも目が覚めてしまっただけ、ともう一度布団をかけなおして眠りに就こうとしたのである。このときの妙な感じは今でも覚えている。脳は眠りを欲しているのに、身体が眠りにつくことを許さない。どうも、様子がおかしいのである。
身体に精神を集中すればどうやら下腹部がしくしくとする。ああ、これは大きなモノか。我が体の内にあるビッグボスが外に出でんと欲している所以に下腹部がしくしく言っているのかと我輩は憶測した。すぐに厠へ向かい、所作を終える。これで万事滞りなしと思えば、そうは問屋がおろさなかったのである。二人目のビッグボスがすぐに騒ぎを起こした。しかも、今までの経験からするに二人目のビッグボスは今までのビッグボスとは次元を異にするビッグボスらしい。二人目のビッグボスを解き放つと、我輩の考えた通りであった。それは何も摩擦を起こさない、もし仮に我輩と同じ人間であれば必ず同輩になれたであろうかと思うような、さらっとした、むしろさらっとしすぎたビッグボスであった。
その日一日、我輩はいつ我が地球穴(アースホール)から“さらっとしすぎのビッグボス”が出てくるか気が気ではなかった。さらっとしたビッグボスに加えて辛かったのが、我輩の頑強なるを信じて疑わなかった胃自身もやられてしまったことである。朝に恐る恐る口にした“かぁぼはいどれゑと(炭水化物)”たちは、我が体の一部に落ち着くのを前にして上の入り口から出て行ってしまったのである。その日一日は、上下の大洪水のために何ともわびしい心持ちになった。
我輩は、卓上の個人用電脳電子機器と向かい合って、考えた。ぴーぴーは定期的に襲い掛かってきて、我輩を悩ませる。その波が最高潮に達した際には歩くのさえ躊躇してしまうほどの波である。もし、そのときに何か衝撃でも加わろうものなら我輩の意思に反して、さらっとしすぎのビッグボスが謀反を起こして下界へと降り立ってしまう。もし、それが厠以外の処(ところ)で起これば我輩はどうなるだろうか。我輩の善良で心厚い同輩や師たちはすぐさま心配の言葉をかけてくれるだろう。しかし、その心内では「それなりに齢を重ねた男子が体調が悪いとはいえ、人前でビッグボスを出すのはいかがなものだろうか?」と思うに違いないであろう。体調が回復して、彼らと顔を合わせれば彼らはいつもどおり以前のように我輩と接するであろう。しかし、その奥底、表面に現れないもはや目に見えない何かとしか形容できない部分では、やはり我輩がさらっとしすぎのビッグボスを解き放った所作を嘲笑うに違いない。
そこまで我輩は考えをめぐらせて、どうにかして今日一日を耐え抜こうと決意したのである。
「想像力こそが、全てを変える」
我輩の一番好きな小説の一節を頭に刻み込み、我輩は自分の想像力(被害妄想力)を呪いながらその日一日を過ごしたのであった。結果的には大過なく一日が終わり胸をなでおろした次第である。
最後に蛇足かもしれないが次の一文を付け加えておく。
体力の落ちたピーピーのとき、ウィダーインゼリーほどありがたいものはない。
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読書感想文「電話帳を読んで」 5年1組 不藤田 玖殷
ついにこの季節が来てしまったと僕は思った。この文章を書いているのは、夏休み最後の●日まで残り二日と迫った夜だ。僕はいつもこの時期になると、本を読んでその感想を400字詰めの原稿用紙三枚分も書かなければならないという深遠さに感嘆せざるを得ない。なぜ、楽しい楽しい夏休みに本を、しかも活字ばかりの本を読んで感想を書かなければいけないのか。僕はそれを考え出すと、市民プールの高校生以上しか入れない特設プールに飛び込むがごとく深く底の底まで沈んでいくような感覚を覚えてしまう。子供の成長を助けて長期の休みを有意義にさせているのだという見えない権力が透けて見えるような気もするが、かような課題は大多数の子供を嫌がらせ、健やかな成長を鈍らせているとしか思えない。
読書感想を書くのは中々難しいものだ。例えば、鬼が登場して住民をいじめる本があったとする。それを読んで、「鬼なんか存在しない阿呆らしい」という感想を持ってもそれを正直に書くことはできない。なぜならその時点でそれ以上の感想などなく、原稿用紙三枚どころか、一枚目の半分も行かずに終わってしまうからだ。
また、その正直すぎる物言いを目に見えない力を持った者達が認めるはずもなく、「自由感想文」といいながらも、実質、自由ではないことを痛感しないではいられないのである。私が小学2年生の頃、タヌキが家に忍び込んで内緒でおばあさんのために糸を紡ぐという本の感想文を書いたことがある。そのとき、私は「内緒で家に忍び込むなどけしからん。忍び込んだたぬきに怒りもせず、あまつさえお礼まで言ったおばあさんはぼけているのではないか」という感想を書いたことがある。そのときの自分は歯に絹を着せて、見目美しく整えるという深奥な行為にまで至らなかったため、その感想文を読んだ担任の先生に授業終わりに呼び出されて、
「何だこれは? ふざけているのか?」
と言われ、書き直せと原稿用紙をつき返されたのである。「自由に」というから自由に書いたのに、それを書き直せとはいかなることかと思ったが、権力には逆らうことができずリライトを余儀なくされたのである。そのときの「自由に書いていい」とはつまるところ、「担任の教師が喜ぶように書け」と同意であった。初めからそうと言ってくれれば、私は自分の感情を押し殺し書いたのにと怨みに思ったことを覚えている。
そういうわけで、読書感想文は暗黙のルールがあり、それに逆らってはいけないのである。しかし、私自身自分の感情に抗って心にも思ってないことを書き連ねることを良しとはしない。だから、私は今回本を選ぶに当たって、2点のことを重視した。
第1点は、ノンフィクションであること。読んでいる最中に「これは作り話なのだ」と少しでも頭の片隅に浮かんでしまえば、本を読む意欲がなくなってしまい、作業に支障が出てしまうからである。私が求めているのは、現代社会に生きている事実なのだ。
第2点は、大人向けであることだ。わざわざノンフィクションの本を選んでも、児童向けのおためごかしのような本では拍子抜けこの上ない。現代社会を鋭くえぐるような本を私は求めた。
様々な本を吟味して私の心を射止めたのが、我が家の固定電話の横に置いてある「電話帳」であった。これほど、現代社会を表しているものはない。まず、そこに記載されるのは私が住む町の企業や個人の電話番号である。これこそ、まさに厳然たる事実である。ここに記載されている電話番号のボタンをプッシュすれば、この電話帳に記載されている企業、または個人に微塵の間違いもなく繋がるのである。このことに私は感動を覚えないではいられない。
また、電話帳は現代社会のパワーバランスを描く縮図でもある。企業の電話番号が記載されている欄を見ればわかるが、活字の大きさが違っている。大きく、四角の欄で、1メートル離れたところからも見える企業もあれば、紙に額がつかぬばかりに近付いて見なければわからないような企業もあるのである。これを我が父君に尋ねれば、広告料の違いで文字の大きさが違っているのだという。なんということか。お金の多寡で文字の大きさが違うとなれば、これこそ資金力のある企業は大きな文字になり、ない企業は文字が小さくなる。これこそ社会の縮図と言わずとして、何と言おうか。私は、企業名と番号の羅列に厳しく、そして悲しい社会の現実を感じずにはいられなかった。
個人が載っているページに話を移そう。個人のページは流石に文字の大きさの違いはなく、皆一緒であった。個人として文字が大きいことにメリットがないのだから当たり前といえば、当たり前だが、貧乏人の文字が小さくお金持ちの文字は大きく印刷されていないことに素直に安心した。
見所は、「さ」と「す」のページだ。その二つの文字は、「佐藤」と「鈴木」という全国に多い苗字ランキングで1、2位を争う苗字を所有している二大文字である。そのせいか、佐藤と鈴木には同姓同名が多く、彼らを区別するのは電話番号と住所だけなのである。個人の尊厳が説かれていても、いざ電話帳に記載されてしまえば、その個人なるものは意味をなさなくなり、何人かいる佐藤○○の一人になってしまうのである。これは、佐藤、鈴木に限ったことではなく他の大多数の個人にも言えることで、電話帳の文字の羅列には個人名が記載されていながら個人を感じることができないのである。個人が社会の一員、一部であることを感じずにはいられない事実を私はそのときに認めないではいられなかった。我々は社会の歯車なのである。
しかし、そんな中にも強烈な個性を放つ可能性を秘めたページがあった。「へ」と「り」のページだ。この二つは、私が住む地方に限ったことかもしれないが、極端に記載されている個数が少なかった。他の文字と比べればそれは明らかである。言われてみれば、前述の二つの文字から始まる苗字を簡単に口に出せないことに気が付く。辺見と竜崎ぐらいしかないのではないか。この二つこそ、電話帳を現代社会に例えたときの希望であり、大きなものの一部分であったとしても、その一部から抜け出せることを示唆している。電話帳の希望を発見し、私は天にも昇る気持だった。
最後になるが、電話帳を読んでみれば、意外な発見が多かった。私が生きている世の中にはまだ知らないことがたくさんあることがわかり、これからも勉学に励もうと思った次第である。
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何かと話題になっていたので読んでみた。方々で言われているように、絵はアレだと思ったけど絶望感漂う世界観とその絶望的な状況に人類がこれからどう立ち向かっていくのか気になって仕方が無い。でも、何か今の世相を反映しているのかわからないけど暗い話だから、読んでると気が滅入ってくる。でも面白いからOK。
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